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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今日の札幌発上野行き臨時北斗星を最後に日本の鉄路から青い寝台特急列車=正調派ブルートレインの歴史に終止符が打たれました。

つい先程、夕方頃に近場の見晴らしの良い場所から一人見送ってきましたが、まだ今日がその最後の列車だったという実感は湧いてきません。

いまだ根強い人気のあることからも、いささか早過ぎる退場であるような気がしてなりません。

新幹線ではカバーしきれない旅行客層のニーズを満たすためにも発展的な継続が叶わなかったことが残念です。

泣いても笑っても今日で最後の一往復ということで、どこで見送ろうか少し思案の後決めたのは豊平川を渡りきった河岸の土手でした。

一時間ほど前に現地へ到着し最後ということでかなり混雑しているかと思いきや自分が二番乗りでした。

くもりと日照りを繰り返す空模様の下で待っていると北斗星通過20分前くらいになると、まわりに続々と人が集まり始め、気が付くと自分のまわりには三脚の列とカメラを構えた人たちがズラリと並んでいました。

撮り鉄の人たちばかりかと思いきやサイクリングの途中で立ち寄ったと思しきチャリダーの人や、どういうわけか楽器ケースを担いでいる人やしき布をしいて日傘をさしながら編み物をしている女性など、普段は鉄道に興味のなさそうな人たちもたくさん集まっていました。




定刻よりも数分遅れてやってきた最後の札幌行き下り北斗星を豊平川橋梁を渡りきったところでサイド気味にまとめました。

通過数分前に晴れ間がさしてくれたおかげで青空の下を走る姿をとらえた明るい一枚となりました。





ラストランのプラチナチケットを射止めた幸運な乗客の皆様。

もうまもなく長そうで短い旅のフィナーレです。

お忘れ物のないようもう一度お手回り品のご確認をお願いします。
 
 
 
 
乗客の皆様が手を振っています。

一瞬の邂逅の間に手を振り返す余裕はなく、ただ夢中でファインダーを凝視しながらシャッターを切り続けました。これも旅の良き思い出の1シーンとなれば幸いです。





 
本当に去り際は一瞬でした。

余韻を確かめる間もなく人々は無言のまま帰り支度をはじめ一人また一人と軽い会釈とともに立ち去って行きました。最後の釣果を確認して納得すると足元に散らばった荷物をまとめていったん帰路につきました。





北斗星は一往復だけ乗車できる機会に恵まれ今では貴重な思い出となっています。

その時は急を要する用事で乗ったのでゆっくりと旅行を楽しめる条件ではなかったのですが、それでも行きと帰り共に開放型B寝台の夜汽車の旅を半寝半起きで堪能できました。

いつかまた今度はゆったりと個室寝台で乗車したいと思っていましたが叶わぬ夢で終わってしまいました。

後ろばかりを振り返ることはあえてしません。

でもやっぱり夜汽車の旅の魅力は尽きることのないものです。

いつか、時代が巡ってスピードと利便性ばかりを追求される世の中の在り方に疑問を投げかけられ、利益と効率のためではなく人々の意思で必要とされる乗り物として夜汽車の旅が取り戻される日が来るという一縷の夢に今は希望を託して前を向こうと思います。


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昨日と今日は色々と立て込んで思ったよりも忙しい二日間でした。

昨日は、実に半年以上ぶりにお隣の札幌市都心部まで買い物に出かけて両手に荷物を抱えて帰ってきました。

今日はお盆前のお墓参りでしたが、その前に朝から例のプレミアム商品券の売れ残りを求めて列に並んできましたが、残念ながら購入することは叶いませんでした。ガックシ、、orz



販売開始30分くらい前に到着しましたが、すでにこの人だかり!!

これでもまだ最後部ではなく、さらに通りを越えた学校の前まで列を遡りようやく並ぶことが出来ました。江別市民の一割ちかく集まったのではないかと思うほどの激混み具合でした。





これはもう無理だと最初から諦めていましたが、一応もしかしてと淡い期待を抱きつつそのまま列の中で並んで待ち続けました。

午前10時を過ぎてしばらくたってからほぼ予定通り販売が開始され、はるか彼方先の列から動く様子が確認できました。

先ほどの通りを渡ったところで呆気無く決着が付きました。

列のかなり前の方で予定数に達したとのことで列の後ろの方の人から一斉に帰り始めました。

ところが、市役所のスタッフからの正式なアナウンスが何時までたっても一向になされなかったのでそのまま列の流れに半分以上の人が残って自分もその流れに付いて行きました。

それから30分近く経ってから一向に説明がなされない状況にあちこちで不満の声が上がり始めて、半ばキレかかった人たちが平謝りを繰り返すばかりの職員たちに食ってかかる様子があちこちで散見されました。

ただ突っ立ているかウロウロしているだけの職員たちを遠目にこの対応じゃあんまりだわとボヤきながらも列は少しずつ前進していきました。

販売予定数付近のプラカードは立っていましたが、いっこうに打ち切りのアナウンスがないまま待ち続けて、いいだけ待たされてまわりのオジサン、おばさん、おにーさんもキレかかって険悪な空気が満ちてきたところでやっと購入の見込みが無いことを告げられました。

ようやく潮時がきたと見計らってすぐに列を離れて退散しました。

それでも諦めきれない人は周囲に文句を漏らしながらなお粘っているようでした。

わが家の場合も3セット分程を購入してこいと指令が下り自宅から歩いて行ける会場まで一人駆けつけましたが狙いが甘かったようです。

いろいろと制約は多いですが、3セットで総額7,500円分にもなる利ざやは泡と消え狸の皮算用で終わってしまいました。

一番早い人は午前4時から並んでいたようで、ぎりぎり買えた人も午前8時ごろまでに並んでいた人までだったようです。

全国で話題になっているプレミアム商品券ですが、最初の販売の段階では市民一世帯に付き1セットまでの厳密な引換券が交付され、目立った混乱もありませんでしたが半分以上売れ残ってしまい二回目の販売日が今日と明日でした。

今回は引換券もなく一人10セットまで誰でも購入可能という緩すぎる条件が問題となったようです。

というのも、本来江別市民向けに発行されたプレミアム付き商品券が無制限で販売されたことで近隣の市町村からも車で乗り付けて列の先頭に並び、上限の10セット分を次々に購入してあっという間に売り切れてしまったのです。

中には個人事業主で人出をかき集めて数十万円以上を買い占めて売上金として返金目的で買っている人もいるとかでルールの脇の甘さを突かれた場合もあったようです。

今日の行列に並んでいた人の半数近くは年金暮らしのお年寄りで中には足腰のかなり弱っている人も見受けられました。次に目立ったのは子育て世代の家族連れでした。

そのような本来プレミアム券を最も必要とされる人たちに行き渡らずに一部の買い占めた人たちや市街の人たちにまで持って行かれたのは、やや感情的な意見かもしれませんが問題ではないかと思いました。

列に並んで待っている時、近くにいる人達が口をそろえて言っていたことですが、やはり市民を優先して販売することや、必要に応じて枚数制限を設けてなるべく多くの人たちに行き渡るような処置が必要だったのではないかと思われてなりません。

まあ、暑い中でもっと熱くなっても仕方ないのでそのまま手ぶらで帰ってきました。

それからほどなくして空知の某町にあるわが家の墓がある原始の森に向けて出発しました。

藪蚊と格闘しながら掃除をし無事今年の墓参りを終えて帰路につきました。




途中、由仁の駅に立ち寄りましたがタッチの差で列車は見られずとなりの栗山町へ向かいました。

ここで毎年恒例となったラーメン店「龍覚」で昼食をとりました。ネギキムチラーメンは残念ながらすでに売り切れで普通の味噌ラーメンにチャーシューをトッピングして美味しくいただきました。





久しぶりのこってり系の食事をとってお腹いっぱいで帰路につきました。

比較的近くに先日めでたく公開が開始された赤い電車のファームレストランがありますが、今日は時間的な都合と同乗の家族との兼ね合いから今回は立ち寄ることはかないませんでした。

秋の便りが聞こえる頃にあらためてゆっくりと訪問できれば良いなと思っています。







先日、夏の甲子園第一試合で地元北海道南代表の北海高校と鹿児島実業高校の試合がありました。

結果はあわやコールド負けかというほど大差の付いた試合でした。

序盤はリードする鹿児島実業を追いかけるかたちで打撃戦が展開され良い流れでしたが、五回に突如10点の大量失点を許してから試合の勝敗はほぼ決まりました。

まだ中盤なので残りの後半戦で総崩れにならないか見ていて心配になりました。

それでも気力を振り絞り集中力を切らさず最後まで戦い抜いた姿がとても印象的でした。

不慣れな甲子園の地で始球式直後の第一試合で強豪校相手に緊張が解けなかったのではとは解説者のコメントでしたが、たしかに試合直後からまるで練習中のように硬い動作のプレイが目立ち、本来の躍動するプレイが出来なかったのではないかと思われます。

負けがほぼ確定した試合を自分たちよりも格段に上の実力を備えた強豪チーム相手に戦いぬく心境はどれ程のものだったのでしょうか。

そしてその試合の結果を受け止めることも含めて、普通の人生の中ではほとんど経験できない精神的にかなりのタフな出来事として心に焼きつくような出来事になったことは想像に難くありません。

試合後になってもなぜこのような厳しい状況に直面したのかあれこれ勝手に思案顔でいたのですが、横で一緒に見ていた母がポツリと「これは一生の財産になる経験だね」といった一言を聞いて気が付きました。

よくいわれる負けることで本当に強くなれるという言葉の通り、負けることを知らないで本当に自分が成しえたい目標を達成することはできないということを、今さらながら思い出しました。

本当に自分の持っているだけの力では手も足も出ないほどに負けるという体験は、そこまで長い努力を積み重ねた上で、自分よりも強い相手やより困難な状況に挑戦しなければ得られないものです。

今の世の中の人間模様をつぶさに見つめていると、負けることを覚悟したうえで真剣に勝負に挑んで勝利や何らかの成果を得ようとする代わりに、いかに自分が負けないで済むか、自分が負けそうな状況を避けたり、他の誰かに勝っているように見せかけるための努力を真剣に追い求めている姿が見受けられます。

他の人に負けないための努力と、自分が掲げた目標を達成するために必要な課題を乗り越えるための努力は、あらためていうまでもないことですが全く意味の違う行為です。

人は負ける経験を通して色々なことを学びとり、他の人に負けないためではなく、本当に自分自身に打ち勝つことの意味も含めて、無駄なプライドと本当に必要なこだわりの違いを理解できるように成長できるものです。

ただ自分が負けないように務めることは簡単です。

自分が負けそうな状況を避けて他の人の劣った部分や正しくない一面を探して自分のほうが勝っていると思えばいいだけです。

自分が選択したどのような分野にも自分よりも優れた人間は沢山いて、その人たちと比べて劣っていたり負けていることはむしろ当たり前のことであって、そのことに悔しさや劣等感を感じたとしても何ら恥ずかしいことではなく誰にでもある一時の感情です。

「負けの悔しさを一度も知らない奴ほどつまらない」というセリフをよく聞きますが、自分が一度も誰にも負けていないことにこだわるエリート気質ばかりが肥大している若者が増えている気がします。
 
自分が他の誰かに負けたくない、見劣りしたくない、勝ちたいという強い傾向は若さを代表する原始的な欲望です。

そのような幼い願望に囚われているうちは自分本位の視野からしか相手や物事を見ることが出来ず、自分とは違う価値観や側面が相手にあることを認めることや、相手の立場から考えて思いやることも出来ないまま、自分の知らない部分を無視して一方的な判断や評価を下す傾向に陥ってしまいます。

本当の信頼感に基づいたコミュニケーションをとりたくても、内心ではお互いに偏見と対抗心を向け合うばかりで孤独と嘆くようでは本末転倒です。

人間は他の誰かや困難な状況に勝ったり負けたりすることを通してエゴを昇華しなければ、互いに成長できないよう半ば神様に宿命付けられているのかもしれません。

それらは自分にとっていらないエゴと幼さでしかなかったと気づいて認めることが出来た時、はじめて自分にとって本当にやりたいことが、同時にやるべき価値ある課題であり、自分の力で達成することが可能な真の目標に向かう道筋が見えてきます。

反対に、いつまでも他人の鏡の中に映る自分の影との競争や勝ち負けにこだわり続けると、自ら望むように必要とされる自分本来の役割を見出すことができなくなります。

そのいずれかを取るべきか、あるいは無視するのかを決めるのは他の誰でもなく自分だけの自由であり自己責任です。

こういった認識に早くにたどり着いた人間がその分野の自分のポジションでより早く頭角を表し花を咲かせることが出来るのは現実的に確かな傾向です。


昨日の試合は、あの球史に残る伝説の延長再試合決勝戦の時とはまた違った意味の感動と静かな気づきを与えてくれた名試合だったと思います。
 
 

 
 
 
PS)
戦国武将で最終的に天下を取った徳川家康公は幼い時分は今川義元の人質として明日の命運も分からない環境の中で育ち、織田信長と同盟を組んでから本来の領地を治めて一武将としてようやく再起と独立を果たした矢先に、戦国最強と謳われた武田信玄率いる騎馬武者軍団と自分の領地の目と鼻の先で一戦を交える事態となり、完膚なきまでに叩きのめされて命からがら城へ逃げ帰ったという史実があります。この時、上洛を目指していた武田信玄は先を急ぐためにすでに勝負の付いた若き家康との決着を避けて城の前を素通りしました。幼い人質の時代から家康を支えてきた家臣の多くを失い、いざ籠城戦となれば城を枕に討ち死にする他ない絶対の窮地だったことからも武田信玄の胸先三寸しだいで歴史は大きく塗り替わっていたのかもしれません。この時の自分の惨めな様相を忘れないために絵師にその時の姿を書き残させ生涯自分の目につくところに飾っていたという逸話が残っています。自分の負けた姿を直視することで天下人としての飛躍を果たしたという有名なエピソードです。ホトトギスの三歌で形容される三大天下人の性格の対比ですが、こと自らの負けに向き合う立ち居振る舞いについて比較してみるのも一興かもしれません。最初に天下に王手をかけた信長公は若い時分は織田家の跡継ぎ争いに巻き込まれ親兄弟からも命を狙われる立場にありました。そんな境遇からか自分が負けることはそく誰かに殺されることを意味するという強い強迫観念が生涯離れることがなかったと言えそうです。人間五十年の辞世の舞に象徴されるように皮肉にも本能寺の変で抱いていた不安の通りの最後を迎えてしまいました。太閤秀吉は貧しい農民の出で信長公の草履取りから出世を始め、その容姿風体から猿とあだ名され自らも戯けて見せていましたが、内心では誰からも見下されることのない天下人まで上り詰めてみせるという強烈な野心の持ち主であったことが伺えます。秀吉公にとっては相手に負けるということはそく自分の方がへりくだらなければならないことを意味し絶対に認めることのできないことだったと思います。常に先手を打つことで相手の切先を制し勝ち続けることで天下を手中に治めましたが、天下を治めてからの晩年は自分の死後の恐れからくる迷動と周囲からの吹聴に惑わされて甥の秀次を切腹に追い込み些細な意見の相違から盟友であった千利休を死罪に処しました。死期が近づきますます死後の不安に苛まれるようになると、再度の海外挙兵を周囲の反対を押し切って強行する最中で没しました。二人の天下人は負けることへの恐怖=死への恐れに最後まで打ち勝つことが出来ないままこの世を去りました。家康は秀吉の死後、すぐに天下を手中に治められる立場にありましたが、豊臣家がゆっくりと衰退して自ら崩壊の道をたどるまで待つことが出来ました。これは自分が負けるということをしかと受け止めることが出来た人間にのみ見られる特有の行動原理だと思われます。自分の内面の見栄や恐れなどの感情にとらわれず一切を切り離して見ることで現実の大局を見誤ることなく必要な対処が出来たということです。ハタチ前後の若い時分にこういった史実のエピソードをドラマや小説作品を通して知り得たことで少しでもその偉大な生き様と教訓にあやかりたいと憧れたことを思い出します。
          
          
          




以前、カメラのウンチクについて何かと書いていたのですが、だいぶしばらく間が空いてしまいました。

今日はその続きも兼ねてウンチク記事を書こうと思います。

参考までに以前の記事のリンクです。


 
画像のレンズはデジタル写真へ本格的に移行する前まで使っていたフィルム時代の”ごく標準的な標準ズームレンズ”です。

今のように画質が云々、解像度が、ピントが、被写界深度がどうのと全く考えることもなく、ただ無頓着に気の向くままにシャッターを切っていたカメラ小僧にとっては十分過ぎるスペックのレンズでした。

ピント面が際立つような解像度の高さや逆光フレア耐性を求めないならデジタル主流となった今でも使えるレンズだと思います。

 
 
 
 
記憶を思い返してみると、かれこれ小学校4年生頃から写ルンですでパチパチ撮り始めて、ついでバカチョンカメラ(※死語および差別的表現含む)MF一眼レフ+50mmレンズ、中学生になってから親父さんが飽きて使わなくなっていた当時それなりに立派だったオートフォーカス一眼レフカメラを使い始めました。

先程も触れたとおり、当時は写真の作品性などの上等な概念はハナタレの自分にとっては全く無縁なもので、それはレイルマガジンの中に掲載せれているようなハイレベルな作品の中でのみ見られるものとして当然に思っていました。

発病等、人生の諸事情によってしばらくのブランクの後に体力回復の一環としてケータイカメラでスナップを撮るようになり、続いてコンデジを導入してデジタル写真の画質の良さを気にい入り、より本格的な撮影に挑むために当時ディスコン寸前の型遅れ品だったデジタル一眼レフとオールドレンズの組み合わせによる低コストなシステムを導入して今にいたります。

デジタル一眼レフを本格的に導入した時に、あえてケチったのではなく、標準キットズーム付きを選ばずボディのみを買いました。

デジタル世代の標準ズームレンズを一本も持っていないということは明らかに不便になりますが、それには自分なりのこだわりと理由があって、買う前に色々と情報を集めて画質などを検討した結果、写真の画質の風合いはレンズの描写力でかなりの割合で決まるという事実に気付き、せっかくレンズの味わい深さに目覚めて味をしめ始めたのなら拘らないのは勿体ないということで、あえて不便さを覚悟の上でオールドレンズメインの撮影スタイルを選択したのでした。

当時のデジタル用キットレンズは最新の高画質なものとは異なり、より高価な上位ラインナップとの釣り合いを意識したのか、かなり控えめな言ってしまえば面白みの全くない平坦な画質のものばかりでした。

それがコンデジやケータイ・スマホのカメラが飛躍的に進化し出した頃から、これらと画質面で競合する必要性から標準キットレンズも出し惜しみしない高画質なものに変わりました。

もう一昔前の話になりますが、デジ一導入時に見送ったキットレンズの次のⅡ型モデルは外観もスペックも瓜二つながらレンズの描写性能は全く別物の高画質なもので、最近では当たり前となった上位レンズに迫るほどの下克上キットレンズとして話題になりました。

それでも標準キットレンズを導入することを踏みとどまり続けてきたのは、自らの頑固なこだわりを押し通したいというポリシーなどの主観的な問題ではなく、どんなに高画質化しても、より上位の高級品も含めて一定の妥協は免れないと考えているからです。





今日はあるブロガーさんの記事で紹介されていた身近な地域医療の話題から始めたいと思います。

既に一昔前の騒動として記憶されている夕張市の財政破綻問題ですが、その時にあらゆる分野の行政サービスが縮小される中で特に問題視された分野の一つが市立病院の診療所への格下げでした。

地元ローカルテレビ局や地方新聞紙、全国ネットの報道番組でも定期的に取り上げられ崩壊しかかった地域医療をどのように支えて維持できるか、その現場の奮闘を様々な番組や紙面の特集で取り上げられたことを記憶しています。

最近は、特に大震災以後は全国的な注目を集めるほどの社会問題として報道されることは少なくなりましたが、地元ローカル報道では選挙戦のたびに一定の注目を集めているようでした。

不徳にも、最近の夕張市の現状について半ば意識の中から遠ざかっていたというのが本当のところで、今日のブロガーさんのリンク記事を偶然目にして財政破綻した夕張市の現状の一端について知るところとなりました。(参考リンク)

最盛期の1/10以下に人口が減少しているとはいえ、四方を山地に囲まれて近隣の自治体の医療施設に頼るには地理的に離れすぎている夕張市で中心となる医療施設が小規模な診療所しかない現状に驚きを禁じえませんでした。

そうであっても上の参考リンクの記事を全て読んでいただければわかると思いますが、とうの住人の生活の様子は外部から想像されるほど悲観されるものではなく、むしろ住人一人一人が病気予防と健康維持に対して自主的に取り組むことで、医療機関にかかる割合が減少し医療費、病気による死亡率共に全国の自治体で唯一減少に転じているという逆転の成果が生じています。

現実に起こる出来事は実際にそれが起きてみなければ何が幸いするかわからないということだと思います。

現状では悲観ばかりされる少子高齢化と過疎化社会の現状も、見方や受け止め方を大胆に変えてみることで、見逃されていた何らかの分野で予想外の好転や改善がまだまだ可能になるのではないでしょうか。

記事中にも日本の深刻な財政難に触れられている箇所があり、総額1,200兆円にも昇る返済するあてのない国の借金と、今後生まれてくる新生児一人あたりの借金が8,300万円にもなるという衝撃の試算についても述べられていましたが、これらの問題を根本的に解消するためには、例えば日本全国をいったん夕張市の財政破綻のようにリセットする他ありませんが、そうせざる負えなくなる前にも自治体レベルやその中で暮らす住人一人一人の生活の中でも出来る自己防衛と対策はまだまだ沢山あると思われます。

このまま行けば、国の借金の利率があと2%ほど上昇しただけで一年間の税収よりも借金の元本の返済と利払いのほうが上回り事実上の財政破綻にいたると言われています。

そもそも国の借金というものは必ずしも実態に即したものとは言えない側面があり、例えば国が年間の予算額のうち新たな借金として計上した分を国債を発行することで事実上新たな現金を世の中に創造することになるのですが、この分の将来の返済にかかる元本と利払に対して、すでに返済された納税額+利子をそっくり国庫に戻して精算してしまうという荒療治の可能性も全くないわけではありません。

素人の浅い知恵からの考えですが、ある意味で過払い金払い戻し制度の国家版のようなものが今後必要とされるかもしれません。
 
それに近い例はごく最近でもヨーロッパのいくつかの小国の破綻例にも見られますし、最近世界を賑わしているギリシャの破綻問題にしても、最終的には国の内外の借金をチャラにした上で諸外国からの新たな支援と投資を元手に一から国内の経済と国民の生活の再生を目指す方向にあるといわれています。

却ってそうなってしまった方がEUから課せられた先進国級としての重すぎる負担から開放されギリシャ国民の生活はもっと楽になると指摘されています。

しかしそれが小さな国の財政破綻のように簡単に行えない要因はEUに加盟していることが大きく、ギリシャ一国だけを救済した場合、同じように財政に仇しているその他のもっと大きな国々でも同じように救済しなければならなくなり、そうなればEU全体の財政が立ちゆかなくなり潰れてしまうからです。

日本の場合も財政破綻問題は決して一息で解決できる生易しいものではないことは明らかです。

中国に追い越されたとはいえ、かつては世界で二番目の経済大国までのし上がった曲がりなりにも先進国ですから、その累積された借金の総額もギリシャとは比較にならないほど大規模なことは今さら説明の必要のない事実で、いざ現実に破綻処理が実行に移された場合、事実上他の国々からの救済はその規模の大きさから期待出来るものではありません。

近い将来に財政破綻後の厳しい破綻処理と国内経済の再生の過程に入った場合、70年前の終戦直後のドン底の混乱に比べたらまだ恵まれた状況ながら、すべてを自力で再生しながら超高齢少子化社会に適応できる全く新しいコンパクトで持続可能な経済社会を一から作り上げる方向しか道は残されていないでしょう。

かつての戦争を戦いぬいた末に敗戦を迎え経済の国家的な崩壊を経験した後に今の平和な社会と時代が築かれたように、その平和であるはずの現行の社会体制がにわかに再び戦争に向かう方向へ傾きつつある最中でも、最終的には財政破綻の関門を避けて通ることはいかなる秘策を持ってしても出来いことから、そう遠くないうちに完全な終焉の時を迎えるでしょう。

明治維新以降、富国強兵の国家的スローガンのもとで驚異的に短い期間で欧米と並ぶ軍事力を備えた列強国となり相次ぐ戦争を引き起こした末に敗戦を迎え、戦後はなりふり構わぬ高度経済成長を推し進めて経済大国にのし上がった先進国としての見栄とプライドと遺産をいったんそれら全てを手放す必要に迫られています。

しかし過去の栄光に過ぎない実質的に無価値なそれらを失うことを惜しんで現状を最後まで引きずり続ければ、最終的には見えない外敵から国を守るための防衛戦争という虚栄に満ちただけの無益な選択しか残されていない、哀れな落ちぶれた過去の国として周辺の国や世界中の国々からも見捨てられ無視されるようになります。

世界的にも信用創造による際限のない負債の無限増殖に実体の経済の収益が全く追い付いていない現状に完全に行き詰まりつつあります。

それでも一度この困難な関門を通り抜けることが出来れば、大きすぎる国家的な負債の負担と投機的市場経済システムの余りにも不条理な自己増殖的な弊害と投資家のエゴから全世界が開放され、ほとんど全ての国々とその経済が息を吹き返すことになるでしょう。

新しい時代とその中で当然のこととして営まれる社会はエネルギーも金融経済もより自給自足に近い地域主体の形態が取られるとする予測が一部のネット上で盛んに発言されています。

急速に普及しつつある太陽光発電や風力発電に加えて、大きな発電所や送電網に頼る必要のない燃料電池式発電プラントシステム、食用植物に頼らない効率的な生産を可能とするバイオエタノール、最近では水耕植物の成長の過程から生じる化学反応から電気を得る全く新しい発電方法がオランダで開発され既に実用化されているというニュースも目に止まりました。

これらの既に実際に実用化されている新技術を組み合わせるだけで原発や石油に全く頼らなくてもよいエネルギー自給自足社会と一人一人の新しいライフスタイルの生活が確立できてしまうのです。

その大きな可能性と希望を阻んでいる最大の要因と存在は、既存の強力な経済力と軍事力を背景とした古い覇権国家主義と、金融、軍事、市場、石油等天然資源、電力エネルギー、医療、食品、情報通信など重要なインフラの全ての分野を手中に収めて独占することで、世界中の国々の政治経済と国民一人一人の生活を牛耳りたいとする国際的な大企業カルテル連合です。

世界はすでに相次ぐ国家的財政破綻後の現行経済制度の崩壊を見越して全く新しい経済と社会の成立を目指して漸進している最中です。

世界的な財政破綻の連鎖の末に訪れる現行の市場経済体制の中途半端な立て直しが一切不可能な歴史的な大崩壊を経てようやく新しい未来型のライフスタイルによる新時代がスタートできるようになります。

無から有を生み出す信用創造による詐欺的な錬金術に依存した古い経済体勢と、その結果である財政の負債借金まみれの無限増殖地獄からの脱出が今後の世界にとって最大の懸案事項となるでしょう。


 



今日はとても抽象的で観念的な独り言です。


午前中に撮影に出かけたのですが、思ったような成果を上げることが出来ず、大きなミスショットではないにしろ、自分のイメージと半歩だけ噛み合わず、とてもしっくりこない後味だったので、後日また調度良い機会があれば再試行したいと考えています。

それでも、今日のような無収穫な日のうちでも、内心ではある閃きというものなのか、現実の撮影から一歩離れた感覚の中で心に引っかかるものが見つかり、最初それが不快に感じても、すぐ後からとても大切な示唆の入り口だったことに気付かされます。


今日はなるべくしてなったと思えればそれで良いとして話を進めます。


唐突なのですが、今日感じた心の引っ掛かりについて詳しく紐解いて行くと、自分でも驚いたことに、とうの昔に忘れ去っていたはずのある感慨、記憶をたどればおそらく14歳頃の自分が抱いていただろうおぼろげな、でもとても強かった問いかけの詳細な一面とその回答らしき内容がふいに現れてきたのです。


その時、自分は真実に基づいた何かを求めていたと思い至りました。


現実の行為や時間の流れを無視して、まるで今日の今その時に感じていたかのようにリアルな問いかけの復活に戸惑いながらも、当時の自分がいかなる理由付けによっても打ち消しようのなかった鋭い問いかけに対して、難なく応えられる今の自分が確かに存在することに、意外なほど清々しい気持ちさえ感じられます。

真実に基づいていない物事を理由もなく受け止めたくない、あるいはそれ自体を認めたくないことにこだわり続けてきたのかもしれません。

でも、それが結果的に正しかったことが証明されつつあることを告げられて安堵する自分が居ます。

たとえ99.99999..........%の他の人間がそれを認めることが出来なかったとしても何ら問題は無かったのです。

今までの集合的人間性のモデルは真実に基づいて思考し存在を認めることが出来るほど成熟してはいなかっただけだと告げられました。

これについて今は例えることでしか説明できない問題です。


一つの喩え話を始めます。


一枚の10円玉をめぐってある心の住人とその主人格のやりとりを交えた未完成な物語です。
  
唐突ですが、今そこにある一枚の10円玉を善と悪に分けることが出来ますか?

物理的に分けることは難しそうですが思考の中では自由自在に認識することは簡単そうです。

善と思われる一面だけを見てそれを善と見なし、悪と決められた一面だけを見てそれを悪と見なせれば良いのです。

これで一枚の10円玉は善と悪の2種類に別れることになりました。

ところで10円玉に善と悪のそれぞれがあると、それ自体のどこかに書いてあったり刻印されたりしていましたっけ?

確かに10円玉には額面と発行年号が刻まれた表面と鳳凰堂が刻印された裏面がありますね。

とりあえず表面を善として裏面を悪にしておくと大勢の人たちにとって分かり易くて良い感じですね。

いやいや、あんな数字と漢字だけが刻印された理屈っぽい表面よりも精緻な彫刻で描かれた優雅な裏面の方がよっぽど芸術的で好ましい、よって表が悪で裏が善というわけだ。

それぞれの見解をとって一枚の10円玉は善表、裏悪、表悪、裏善の4種類に分かれました。

まだ大事なことを一つ忘れています。

10円玉には特別希少なものがごく僅かですが紛れ込んでいます。

それは表だけを見ても裏だけを見ても普通の10円玉とほとんど区別が付きません。

それどころか、この特別希少な価値ある10円玉は他の真新しい10円玉や汚れた古めの10円玉よりもさらに古臭く汚れているので普通に手にした人は弾いてしまいやすいのです。

では、その特別希少な10円玉はどうやって見分ければいいのか、一つはとても古いものですがそれだけでは価値があるとは断言できません。

表と裏の境目がちょうど真正面に見えるようにくるんと半回転させるとその特別希少な姿を目にすることができます。

なんと、普通はのっぺりとした板厚の表面が見えるだけですが、この希少な10円玉には等間隔に整然と並んだ横縞模様がしっかりと刻まれているのです。

しかもこの特別な10円玉は相当昔に作られたっきりでもう二度と新しいものは製造されません。

大変貴重なものなのでこれだけは特別に例外として区別しなければならないものなのです。

ところで、これだけ10円玉についてあれこれ分析して意味付けをすることが出来たのですから、そろそろ実際の10円玉を手にとって観察してみようじゃありませんか。


実際の世の中には数え切れないほど沢山の10円玉が存在します。

 
つい最近造幣局から発行されたばかりの人の手垢のついていないピカピカのものから、人の手から人の手へと長年渡り歩いていい具合に赤銅色をしているもの、手垢にまみれてねっとりしているもの、何かに押し潰されたのか凹んで曲がってしまったもの、表面の淵に大きな切れ込みのような傷があるもの、錆びて緑青が浮いて緑がかったもの、生まれた年号が微妙にズレていて珍しいもの、額面の数字が妙に打ち間違えられていて見つかると廃棄されてしまうもの、、、。

それはそれはもう沢山の表情の違う10円玉があるのですが、何と言ってもせっかく善悪裏表と希少な価値について意味の違いを決めたのですから全ていずれかに区別する必要があります。

まず新しくピカピカした10円玉はどれも見栄えが良いので善のグループに入れます。

でも裏側の一面までは今は見ないことにしておきます。

あとはどれもこれも古い10円玉ということで似たようなものです。

先ほどご享受いただいた特別希少なものと、もう10円玉として使い物にならなくなったものはそれぞれ除外します。

とりあえずバランスを取るために善と悪はほぼ同じ枚数に分かれている必要性があります。

先ほど取り決めた新しくピカピカなものはどれも善としましたので、少しでもきれいなものをより善とし、もう薄汚れて錆びついてしまったものを悪とします。

さて、裏と表の区別はどうしましょうか?


それは元々どの10円玉も全て同じだから本当は区別しようのない問題だ。


表こそ善だと思っている人のためにキレイな表面を持ったものを表の善、裏の彫刻がとして美しいと好む人のためにキレイな裏の面も善としよう、残りの磨いても落ちないほど薄汚いものは適当に表も裏も悪ということにしておきなさい。

でも10円玉には全てのものに表面もあれば裏面もあるのが普通じゃないですか、頭の中の認識では好きな方を選べますが、実際に手にとってしまえば両方の面が目の中に入ってしまいますよ。

そこは簡単なことで解決できる問題だ、表だけなら裏側を削ってしまえばいいし、裏だけ残すなら表側を削って無くしてしまえばいいのだよ、あるいは少し難しくなるが、1枚の10円玉の表と裏を半分に切ってキレイに分割してしまえばいい、そうすれば裏は裏、表は表とはっきり分けて扱うことが出来て簡単かつ大変便利になるのだよ。

でもどちらか一方の面を削るなんて1枚1枚の10円玉にとっては大変な負担ですよ、特にもともと一枚だった10円玉を表と裏に分割するなんて、もしも失敗したらその1枚の10円玉の全てが台無しになってしまいますし、それはとても残酷で不自然なことですよ。

その残酷で不自然なことがごく自然で普通なこととして認められ受け入れられる事こそがこの人の世の中と言うものでありそれが最も重要なのだ、それこそが絶対のルールというものなのだよ、あらゆる全ての10円玉は世の中がそうと認めるからこそ10円玉として存在することが可能になるのだ!

その交換条件として全ての10円玉はこのルールに完全に従う必要がある。

表の10円玉には表の10円玉の、裏の10円玉には裏の10円玉のそれぞれの役割があるものだ。

それを認めないものは10円玉として存在することも生きていくことも出来ないようにしてある。

また善の10円玉が沢山欲しければ反対に悪の10円玉も同じ枚数だけ必要なのだよ、もともと善と悪とで一つの10円だったのだから、そうしておかなければ厳密に辻褄があわなくなって、つまるところ皆にとってかけがえのないほど大切なこの一つしかないこの世の中の仕組みが滅茶苦茶になって成り立たなくなってしまうんだよ、それは何としても避けなければならない由々しき事態だ!

この世の中にとってもう使い道の無くなった古い10円玉やいびつに歪んだ10円玉たちは順番に廃棄するか、それが出来ないものは道端にでも転がったままにして無視すれば良い。

そうそう、特に注意すべきことは先程からくどいほど忠告しているように、特別な刻印が施された10円玉は見逃すこと無く確保しなければ駄目だ、そのまま廃棄するにはあまりにも惜しいし、第一それらの特別な10円玉たちは1枚でも失われたらもう二度と同じものを作り直すことが出来ないからだ。

これらの特別な10円玉たちは表と裏に分ける必要はないし、それをやると価値が減じてしまう、さらにそういった特別な10円玉が一般の10円玉の中に紛れてもしもその存在と価値が知れ渡ってしまうのもマズイことだ、善でも無く悪でも無い、また善でもあり悪でもある、彼らのピュアな性質を羨ましがって、他の一般の10円玉たちが真似を仕出したらそれぞれの役割に徹することをサボるようになってしまう、それでは甚だ都合が悪くなる。

だからこれらの特別なカリスマのある10円玉たちは、一般の世の中よりも1段から数段高い位置に設けた舞台にまとめて祀り上げて普通の10円玉たちからようく見えるようにして区別しなければならない、この意味が分かるかな?

それで一般の10円玉たちは自分たちがごく普通の10円玉に過ぎないと悟って素直に気持よく自ら進んで課せられた役割に徹することができるようになるのだよ。

そもそも、10円玉は10円玉でしかなかったものが随分と差がついて違う話になってきました。

善でも悪でもなく裏も表も一体で特別でもない自然な10円玉はどうやらこの奇妙な世界には存在していないようです。

もしくは、善悪、裏表の区別があることがあまりにも長くアタリマエの事実として受け入れられ浸透してきたためか、どの10円玉も全てはもともと自然でピュアなただの10円玉として互いに等しい価値しかないという真実をすっかり忘れてしまったようです。


10円玉はあなたの私のそして全ての人の心であり魂です。
 
 
善と悪、表と裏、それらはみな心の区別、魂の分割です。

分けられた心は傷み、魂は別れた片割れを求めてさすらうものです。

物事に対する善と悪の区別はそれ自体で独立したものです。

それは何人も代表することのない公平な真理の法則に属し委ねるべきものです。

存在する全ての事物の表裏の違いは1枚の10円玉の裏と表の違いのようにもともと一体であることが自然な姿です。

人間の意識だけがこれらをバラバラに分割し別々のものとして区別して認識するのです。

それはごく当たり前の当然の事として普段は特に意識して顧みられることもありません。

でも、そうして分け隔てられた心は常に荒んで傷み魂は密かに悲しみを抱くようになります。

そしてあなたの中の他の10円玉たちの表と裏を、キレイで好ましい善の一面と、薄汚れて悪と見なされた他の側面をはっきりと区別して取り扱う時、あなた自身がそうしてそうされて心が傷つき激しく痛み自分と他者を憎悪するようになるのと同様に、他の者の心と魂を分割しようとしているのです。

自らの内側でこの事を知り、自覚し、絶え間ない葛藤と自己嫌悪の苦痛から解放されたいと芯から望むなのなら、それらの区別を意図して止めるしかありません。

他人がそれをやめても救われるのは他人のその人自身であって自分自身ではありません。

あらゆる人間と人間の関係と相互の認識において、心のある部分とある部分が細かく分割するような意識に基づき、ある者がある者へと傷つき傷つけられ、本来必要のない精神的苦痛やトラウマを生じさせて、愛しあうことと理解し尊重しあうことの代わりに、果てしなく終わることのない憎悪と怨嗟の応酬をもはや当然のこととして受け入れて、繰り返される日常生活の中のループする習慣として受け流し続けることで、わざと互いにすれ違い真正面から向き合うことを回避し、それでも正面からぶつかり合うことが避けられなくなったその時に、どちらか片方あるいは両方が決定的な一打を下して取り返しの付かない後悔の念を背負う不幸な結末に至る場合も決して少なくない時世です。

もう一度繰り返しますが、他の誰かや相手からそれを止めることを期待しても最初から無駄であり、他者との区別意識に基づいて自己のみを正当化したいという発想や、それで自他両方からの肯定感と評価を得たいという願望は全て未熟なエゴから発せられるもので、そういった自己の内面を認めるに至ることが出来たのなら、それはその時に一切を無効な概念として破棄する用意が整ったことを意味します。
 
自ら救われるためには自ら変わらなければなりません。
   
   

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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

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