北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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最近更新をサボっていましたが、理由は案の定、夏バテと夏風邪とアレルギーのトリプルパンチによる体調不良です・・・(--,)
まだまだ本調子には程遠いですが、何とかPCに向かってキーを叩いています。
時間は前後しますが、参議院選挙は蓋を開けてみると予想通りの民主メタメタ、自民盛り返しの結果となりましたね。
ぼくにとっては、今回の選挙ほど煮え切らない、後味がすっきりしない選挙はありませんでした。争点として急浮上した消費税増税はもちろん反対ですが、とはいえ、いくら民主党が情けないほどの迷走ぶりを呈していても、今この国のハンドルを手放して欲しいとは思いませんし、まして今の社会の惨状を招いた張本人である自民党には間違っても票は入れたくありませんでした。
投票の直前までモヤモヤした気持ちで焦点が定まらず、結局、その迷いをそのまま反映した選択となりました。
別にぼくがどこに入れたかなんてどーでもイイことなのでわざわざ書きませんが、一つだけ言っておくとすれば、今回、浮動票をかき集めて躍進したみんなの党と宗教系の政党には入れていません。
今日の新聞に、かの党の躍進を伝える記事の写真に代表の高笑いの画が掲載されていましたが、これはそんな風に笑って大喜びして良い結果なのかと疑問に思います。
古巣の旗色が悪くなると一目散に飛び出して、市民目線の政党というイメージ戦略が当たって国民の支持を得ることに成功したようですが、実際は自民、民主双方が行き詰って崩壊した後の政界大再編の時に有利な立ち位置を確保しておこうという野心が見え隠れします。その野心こそ旧来の永田町的国民不在の政治理論そのまんまではないかと、ぼくにはそう思えて仕方ないのですが、、、それに比べれば、逆風の中でも自民党に残り踏ん張った谷垣さんのほうがずっと好感を持てます。
道内の選挙区では、自民党のヨサコイの人と民主党の本命候補で議席を分け合う形となり、自民復権の流れが印象づけられましたが、投票結果をよく考えてみると、自民候補が獲得した票数よりも民主2候補が獲得した得票数の方が上回っているのですね。おおよそ4:6の割合ですが、これは道内世論が民主中心の治世になりながらも、いまだにどっちつかずの情勢を引きずっていることを如実に表しているのだと思います。
今回の選挙は消化試合のようなものだったのではないかと思います。消費増税の可否に始まり、年金福祉、雇用経済、財政問題といつもどおりのお題目が並んでいましたが、どうも問題を矮小化しているというか、すでに現状はそういった点の問題を遥かに超えた総体的な危機に直面しているように思えます。もちろん、それらの社会的な課題がどれも重要であることには変わりありませんが、その点一つ一つだけを見て解決すれば済むレベルではないのです。
どうも昔から日本人は点を凝視して追求することには長けていても、それを上回る全体を総括するようなスケールの大きな課題に直面すると、頭がフリーズしてそれ以上前に進めなくなるきらいが多分にあるように思います。その全体を大きく俯瞰しながら対処しなければならない問題に対して、凝視できる点の問題に置き換えて焦点を見失う、そういったことを繰り返しながら迷走を重ねて、ついにはドツボにはまって身動きできななくなってしまう、、、そんな歴史の前例は枚挙にいとまがないほどあります。
消費税増税についても、これからの方針をどう描くかの入り口の論点に過ぎず、その可否について与野党相対して論争する点に留まったままで、いたずらに時間を浪費すればするほど、本来真っ先に対応しなければならないはずの財政破綻とそれにともなう経済崩壊の危機が、皮肉にもかえってその現実化を早めてしまうようなことにもなりかねません。
一説によると、消費税を10%上げてGDP名目成長率を1%維持でれば、さらに+αの増税を加えれば、我が国の財政は何とか2019年頃まで持たせることが可能という試算もあるようです。
国の借金の大半を国外の市場に依存する他国とは異なり、日本は国債の引受けのほとんどを国内の資産でまかなっているために、国内の情勢次第ですぐにクリィティカルな結末に陥る可能性は少ないようです。
そう考えると、今すぐに深刻な事態を想定する必要はないように思えますが、問題は国外の、世界を取り巻く情勢がいよいよ余談をゆるさない状態になってきていることです。
リーマンショック以来、各国の財政出動による景気対策が功を奏して現在は再び上向きの兆候が出てきたというのはほとんど造られた演出で、実際は様々な延命策が施された上で辛うじて小康状態を保っているのが現状です。
その延命策が尽きたとき、具体的にはどこかの国が財政破綻したり株価が急落して景気の二番底が現実化したとき、それを合図にドルや各国通貨のデフォルトが実行に移されて世界全体の経済の大再編が始まる可能性があるそうです。(→中国の土地バブルも危険水準に近づきつつあるようです)
もしそうなった時、日本は極めて難しい選択を迫られると思います。国の負債を世界市場ではなく、国内で抱え込んでいるがゆえに、そのまま負債を抱え込んだまま耐え忍ぶ道を選び、いよいよ経済大国という看板を降ろして世界の桧舞台から退くか、あるいは世界の流れに呼応して即座に破綻して国内の1,000兆円にも及ぶ資産が消し飛んで大混乱に陥いっても本格的な再生の道を選ぶかです。もしくは、そういった混乱と損失を極力避けるための妙策を捻り出して、うまく対処できる可能性も少しは残されているかもしれませんが難しいでしょうね。
そんな前代未聞の事態が発生した折には、現実的に選択している余地など無いかもしれません。今からその危機に出来る限り備えることはもちろん、その危機が去って世界の情勢が一変したとき、日本がどういったポジションを取っていかに再生するかというビジョンを水面下でしっかり見定めておくことが出来るかどうかで、この先の日本の運命は大きく変わることと思います。
何よりもぼくたち一般国民にとって、大難が可能な限り小難で済むように、しっかり対応してくれることを今の政治には何よりも望んでいるのですが、現状を見る限りその望みは薄そうですね・・・。
やきもの市では例年どおり、お気に入いるのお店で気に入った陶磁器をいくつか買うことが出来ました。また来年も同じように、今日のような一日を迎えることが出来ればこれ以上幸いなことはありませんね。
たとえこの先、予想するような大変な事態が起こったとしても、それは災難でも悲劇でもなく起こるべくして起きた変化に過ぎないと冷静に受け止めることが大切だと思います。
今年のやきもの市もプロ、アマそろって力作ぞろいで、手に取って購入した作品はどれも手の込んだ味わい深いものばかりです。
そういった作品を一つ一つ丹念にこしらえることが、自分のなすべきこととして誠実に取り組んでいる方々が頑張っている姿を見ると、不思議と不安によりも、この先の試練を乗り越えた先にきっと良い時代が待っているという予感と希望が強く感じられます。
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と言っても、そんなにぶっ飛んだ話ではありません。あくまで現実に起こりうる話として書いてみようと思います。
管新政権が誕生してから一段落して、世間はワールドカップに関心事が移り、日々伝えられる試合結果に釘付けといった感じでしょうか。そういうぼくも日本xカメルーン戦は何だかんだ言って真剣に見ていた口ですが・・・(^^;)
ワールドカップ開催のお祭り騒ぎがある一方で、アメリカのメキシコ湾では原油流失が止まらず、このまま行けば過去最悪規模の環境災害になるのはほぼ間違いない情勢です。
ギリシャ情勢も一旦は収まったかのように思われていますが、財政再建のために課された計画は現実的に実行するには厳しすぎるものであり、同国内では火種が今なおくすぶり続けています。EU全体でも、スペインやポルトガル、イタリアなど実質的にギリシャと変わらない国が控えています。
翻って、我が国日本の財政状態を見ると、ギリシャなどよりもはるかに深刻な世界一の借金大国なのが実情です。理屈の上では今すぐに破綻宣言してもおかしくない状態ですが、他の多くの借金国と異なり、日本の場合は政府が発行する国債のほとんどを国内の金融機関や投資家が買い支えているために、そう簡単に破綻することは無いとのことです。でも、そういった保険にも限界があるということも事実です。
具体的には、借金の支払いよりも税収が少なくなったことにより、金融機関が国民からの預かり物である預金資産を使って国債を買い支える必然性が崩れてしまうのです。その必然性を維持するためにも、国の収支のつじつまを合わせる必要があり、そのためには景気回復による税収増か増税しかありません。前者はほとんど期待できる状況ではありませんから、必然的に増税という選択肢に行き着きますが、ここで今是非が問われている消費税アップを実行すると、国内の景気は間違いなく冷え込んでしまいますから、まさに諸刃の刃です。
戦後、高度成長期を経て経済大国として突っ走ってきた日本ですが、今、間違いなく衰退期に入ろうとしています。これから右肩上がりの成長ビジョンを描き出そうとしても、それはまず不可能なことでしょう。市場主義経済は発展の可能性を先買することで成り立ちます、その国が発展し尽くしてもうこれ以上大きな発展の余地が無くなると、必然的に安定期に入ります。管総理が所信表明演説で言ったように、環境や医療などの先端分野や、問題解決型産業の育成などで発展の余地を捻り出すことも全く不可能ではないと思いますが、それを実現するためには、まず最初に借金の清算という重い課題をクリアする必要があります。
それはもう現実的に不可能なことは誰の目にも明らかですから、最終的には国が計画的に破綻するという道しか残されていないように思います。もしそうなると、それまでの紙幣や金融資産はほとんど価値を失い急激なインフレが起きて物価は軒並み高騰するでしょう。そういった混乱をすみやかに抑えるために、金融機関や自治体は計画的に整理統合されて、新紙幣を流通させて日本中が一斉に新しい経済体制に移行すると思います。そういった混乱の中で多くの企業が倒産したり、失業者が溢れ返る事態などは、今からあまり考えたくはないことです。ここで念を押しておきますが、そういった事態がすぐにでも起きるとは思いません。まずは増税やその他の方策でやり過ごすことがセオリーでしょう。
でもそういった谷間の出来事の先に必ずしも暗黒時代が控えているとは思いません。そういった劇的な変化が起きてしまった時は、日本だけではなく世界中の情勢が一変してしまっているでしょうから、日本がこれまで通り経済大国であれなくなるのはもちろん、輸出を主とする大企業に依存した経済も成り立たなくなります。当然、現在のような為替レートの極端な高低差を利用した輸入依存もできなくなりますから、輸入に頼っていた品々、具体的には食料や衣料品、石油関連商品などが高騰したり、品不足に陥ったりするでしょう。それらは考えただけでも深刻な事態ですが、そういった極端な状況は一時的なもので終わるはずです。
これまで輸入に頼っていた産業分野を再び国内で賄う必要が生じます。それはここ20年疲弊しきった国内の実体産業を復活させる大きなチャンスです。食料自給率を上げるために農林水産などの一次産業の活性化、衣料生活用品の国産化、石油から電気への大胆なエネルギー転換、環境技術、福祉医療介護産業の適正化、これら産業構造の変革を通して大幅な新規雇用の創造、合わせて年金、社会保障の再構築、公務員人件費の削減、行財政のスリム化などが一気に進む可能性があります。これらは一見絵に書いた餅でしかないようにに思われますが、現在の輸出産業に偏った経済から内需主体の新しい経済バランスに変わることで十分可能になることです。
上に書いたことは管首相の所信表明演説ならびに民主党の政策理念とほぼ一致するものです。これらが本当に実現すれば、大多数の国民にとって大きな利益に繋がるのは間違いありません。ただし、それらを実現することと、現状の課題に対処しながら混乱を伴う変革を避け続けることは、残念ながら相容入れないものです。所信表明演説の内容を読んでいると、理念の上では新時代の社会へ移行する用意がありながら、現実的な対応においては目先の大変動を恐れて現状の延命に徹するという、どっちつかずの、いまだに方向性を決めかねている有様が浮かび上がってきます。そして、それはそのまま日本の社会全体の現状を表しているものだと思います。
ぼくがここに上げたことは、具体的で細かな事象を省いたごく大雑把な予測に過ぎません。実際にはもっと複雑な過程を経て、紆余曲折を繰り返しながら変化していくものだと思います。そして、今問題になっているのは日本一国の内政と経済問題だけではなく、アメリカを中心としたグローバル経済が揺らいでいるという、文字通り全地球規模の危機と連動していることも視野に入れて考えなければなりません。実は、今世界で本当にヤバイ国や地域は、ヨーロッパでも日本でも無く、現時点で世界経済の中心であるアメリカそのものです。
それらについては回を改めて考えてみようと思います。今、世界経済がどのような状況にあってどこに向かおうとしているのか理解するためには、グローバル経済がどういった経緯で生まれたのか、その時代まで振り返って考える必要があります。そこから、日本のバブル後20年を重ね合わせて振り返ると、その間に国民の生活がなぜこれほどまでに経済過当競争に巻き込まれなければならなかったのか、好景気と生活者の実感のズレや格差社会が急速に広まった本当の理由も見えてきます。
今日、正式に管内閣が発足しましたね。
民主党の支持率、政権に対する期待率ともに高いスコアを打ち出してまさにV時回復。
でも、この先の政権運営は波乱万丈になることは疑う余地はありませんね。参議院選が当面の山場ですが、これまでの政権の行く末のご多分にもれず、支持率は時間の経過とともに下降線を辿るでしょうから最初の出だしでどれだけ勢いをつけられるかが勝負でしょう。
ぼくたち一般の生活者の立場からすると、消費税増税の可否が一番の注目点ですが、おそらくそれは避けることができないでしょうね。税収がこれだけ落ちている状況を考えると無理もないと思います。もちろん、ぼくたち庶民にとっては迷惑以外の何者でも無いので、管さんにはくれぐれも慎重に決めて欲しいと思いますが、、、
消費税増税は庶民の懐をますます苦しいものにするだけではなく、一層の消費不況を招く恐れのある諸刃の刃です。一つ間違えると景気後退の負のスパイラルを取り返しのつかない形で推し進めてしまう恐れがあります。管さんは増税と成長を両立して強い財政と経済を打ち立てることを標榜し、増税で得た新たな財源を環境や先端技術など成長が見込める分野に集中して投資することでそれが可能であると言っています。でも一つ疑問に思うのは、はたして今の日本にそれだけの負担と痛みに耐えられるだけの余力が残されているのか、そしてもう一つは世界的な経済の変動期間にある中で時間的な余裕が残されているのかということです。
ぼくはどうも無理っぽいのではないかと思います。国民の痛みを伴う改革をもって経済の成長を図るというやり方は小泉政権による構造改革と本質的には変わらないものです。もし小泉政権が国民に痛みを強いるだけではなく、今の民主党がやっているように官僚のムダや政財界の利権を本気で打ち崩して、真に国民の福祉と生活に還元していたならば、今の日本はもう少しマシな状況でまだ希望が見えたかもしれません。もしも数年前のあの時点で政権交代がなされて今日の民主党による改革が成されていたら、時間的にも財政的にもまだ充分な余裕がありました。国民にあれだけ期待させて、結果は弱者に痛みを強いるだけでこれまでの利権政治の延命を図っただけの小泉政権は、これ以上無いくらいに国民に対して阿漕な政権だったと思いますが、一つ一つの政策はあの時点の枠組みの中で出来うる選択という意味では的を外してはいなかったと思います。その小泉政権の政策方針を担った優秀なブレインたちですら消費税増税については、可能性について言及はしてもついに踏み切ることはありませんでした。それを、今この時点で管さんがもし実行に移そうとしているのなら、その結果は一体どうなるのでしょうか。いずれにしても、これからの経緯が現時点で全て決まっているわけではないので、何もかも悲観的になることはありませんが難しい局面を迎えることは間違いないと思います。
改めてこんなことは言いたくありませんが、今の日本の経済を例えるなら末期がんの患者のような状態です。その患者に対してこれから一か八かの大手術に望もうとしているのが管総理、手術のリスクを恐れて内科療法で様子を見ていたのがこれまでの鳩山前総理だったと思います。こうして対比すると、管さんが外科医で鳩山さんが内科医のようだと思えなくもありませんね。ぼくの個人的な考えとしては、今、管さんのようなヤリ手の首相がメスを手にするよりも、穏便な鳩山前首相のようなリーダーが一見消極的なように見えても、内科療法で静かに動静を見守る方が得策だったような気がします。日本の内側の問題だけを考えると、それではジリ貧で一向に良くなることはありませんが、一方で今、日本の外側の世界はどっちに転ぶか分からない大変な変動期を迎えています。そこで、日本の積極策が裏目に出ると世界に対す影響は決して小さくありませんから、その責任を問われて結果的に日本が一番の貧乏くじを引かされるハメになることもありうることです。
そんなことを一小市民が、それも社会からハミ出した日陰者がここであれこれ考えていても何がどうにかなるわけではないですが、何も知らずにある日突然コトが起きて口を開けてポカ~ンとさせられるのは悔しいので色々と考えてしまうのです。
この先は全くのトンデモ話ですが、今の世界情勢を一言で言い表すならば市場主義経済の崩壊が現実味を帯びてきているということです。まさによくあるチープな社会崩壊論ネタのようですが、世界の情勢をつぶさに観察していると、どうもトンデモネタが現実化しそうな気配が実際にあるようなのです。次回はその辺のところを少し具体的に、あくまで可能性としてはありうるフィクションとして、ぼくの持ちうる乏しい認識と矮小な視野の中で書いてみようと思います。
ここ最近、すっかり更新が滞ってしまいました。
疲れからくる体調不良が理由ですが、そんなに長くヘバっていたわけではありません、、、
しばらく休んで回復したのですが、どうも文章を打つ頭の回路が死んでいたようで、気が付くと半月ほど更新をサボっていました~(^^;)
この間、写真を撮りに行ったり、庭づくりに勤しんでいたりしたのですが、それらの様子も少しづつアップしていこうと思います。
気が付くとこちらも大変な変化の時を迎えていたのが表題の件です。
昨年からの政治資金問題、ここ最近の普天間基地移設問題などで迷走がつづいていた鳩山政権がついに倒れてしまいました。
政権交代時の期待が大きかっただけに、予想していたとはいえ、こういった形の幕引きとなってしまったことは残念なことです。
この問題は鳩山首相、小沢幹事長の辞任で決着が付いたというよりは、この先の日本が進む混迷の時代の幕開けを象徴する出来事のように思えてなりません。
鳩山政権のこれまでの経緯を振り返って一番残念に思うことは、数々の無駄な政策をスピーディーに裁いた事業仕分や、福祉教育重視の政策を決定づけた子ども手当など、決して小さくない成果をこれだけの短期間で成し遂げた実績があるにもかかわらず、沖縄の基地問題という60年来の根深い問題に充分な準備期間を置かずに望んで、蓋を開けてみたら手に負えない状況となって身動きがとれないまま今日の結末を迎えてしまったことです。
歴史的な政権交代によって生まれた鳩山政権は、それまで長年続いた自民党+財界+官僚+一部の金持ちによる、自分たちの利益のみ追求して大多数の庶民の生活を犠牲にする政策を改める大きなチャンスでした。それは、リアルタイムで接しているぼくたちが思っているよりもずっと大きな価値があった出来事であることが、先々の時代になって振り返ったときに実感されることかもしれません。その大きな歴史的なチャンスを、あんなお粗末な政権運営と迷走の末にわずか8ヶ月で潰えてしまった事実を、後世の人達はどう評価するのでしょうか。
いま、ぼくを含むこの時代を生きる多くの人々は、大きな歴史の変換期の中を過ごしているように感じられます。よく言われることですが、歴史上で時代が変わるような時期に生きていた人々の多くは、その時点ではあまり実感がなく、後になって振り返ってから初めてその変化の大きさに気が付くということがあります。明治維新の時は、気が付いたら幕府は無くなり、お侍も居なくなり、ちょんまげも切っていた。そして庶民はその期間にええじゃないか~、ええじゃないか~と踊り歩いていたと言われています。天皇が神であり、自分たちの国は神国であり、どんなことがあっても日本は勝つと信じていたのに、ある日突然の玉音放送と同時に時代と価値観が一変してしまった。それまでは、日本がすでに各地で負け戦を繰り返していたことも、原爆を落とされて広島や長崎が壊滅したことも国民には知らされていませんでした。それまでの日本が獲得した満州や朝鮮半島、台湾、樺太、千島などの領土が取り上げられることなど、多くの国民にとっては想像もつかないことだったのです。
これから先に、そういったメガトン級の変化が起きると断言することはできません。でも、いつそのメガトン級の出来事が起こり、自分がその渦中の人になってもおかしくないという覚悟だけは持っていなければならないと思います。街を歩いていても日常はこれまでと全く変わること無く営まれています。先に上げた戦争や革命のような出来事はどうやら起こりそうもありません。でも、目に見えない大きな変化が確実に起こりつつあります。それは、多くの人達の生活や社会全体を支える経済活動を司るシステム全体が崩壊する危機に直面していると言うことです。それは戦争の悲惨さや革命の騒乱のような目に見えて肌で感じられる分かりやすい驚異では無いという点で、今までの人類が全く経験したことがない類の危機です。それゆえに、今を生きる人々の上から下まで、この先”何がどうなるのか”予想しようにも想像力が追いつかないのです。それは多分、日本人だけではなく、世界中のあらゆる国や民族、立場の人達も変わらないと思います。
世の中を司る政治家や官僚、経済を担う起業家や投資家も各々の分野で危機に対応しようとしています。でも、そういった超がつくほど優秀な人達が問題を想定することも、対応策を捻り出すことも、みな基本となる社会の基盤であるシステムという枠組みに基づいてであり、それ自体が歪んで崩壊しようとしている現実や、枠組そのものを大きく越えて認識し対応することが出来ずにいます。それは、ぼくら一般の個々人にも当てはまることです。物事の善し悪しの判断から、自分の人生の設計図に到るまで、物心付いた時から当たり前で疑うことすら無かった常識という規範に依頼してきたことに、そして、その拠り所としてきたこれまでの常識が社会の変革と同時に崩れ去ろうとしていることに、やがて多くの人々が気が付く時が来ます。それは、すでに一人一人において時間差で起き始めているように思えます。世の中の構造の歪が格差というかたちで、特に弱者や負け組と分類されてしまった人たちの上にに重くのしかかっています。そういった日陰の道に進まなければ安泰とか、少しでも多くの人を日陰から救済して日向に復帰させれば万事が良くなるというような、安直な方法と認識で解決出来る時点は残念ながらとうの昔に過ぎ去ってしまったと言うしかありません。
鳩山内閣の真の使命は、そういった見えざる大きな危機と、やがて来る時代の変革の大波に現状の矛盾を抱えながらも備えることにあったように思います。それが、日米の懸案である基地問題で、アメリカや諸外国の利害と打算と腹積もりと二枚舌三枚舌外交と足元の官僚の思惑などなど、、、それらを読み切れずに迷走した挙句に座礁沈没してしまったことは、かえすがえすも残念なことです。鳩山首相退陣後すみやかに次の代表選がとり行われ、本命は菅さんになるだろうと言われていますが、もしそうなったら次の内閣の方向性がどうなるか要注意です。昨年の政権交代以来、政権の要職につきながらも表舞台から遠ざけられて不遇を囲っていると報道されていた管さんですが、その間に藤井財務大臣から交代でその任に付いたり、カナダの極北の地で急遽開かれた金融財務の秘密サミットに出席しているなど、この先の時代の変化のキーをすでに握っているのではないかと憶測されています。
北海道から出た初めての総理大臣がこういった形で退陣するのは心情的に無念ですが、決してバラ色の締めくくりを望めるような時代ではないので仕方ないとも思います。ただ、ぼくの目から見ると歴代の首相の中では誠実な人柄を持ち合わせた総理大臣だったと思います。たしかに極めて裕福な出自で、庶民に近い常識的な感覚を欠いていたり、主体性や決断力に乏しい一面もありましたが、福祉や教育、弱者の救済を目指す政策方針や薬害肝炎や国労問題など国が抱える過失について積極的に認めて謝罪しようとする姿勢など、終始一貫して取り組んできたことについて、もっと評価されても良い気がします。そして、それは次の内閣でも、たとえ政権がまた変わることがあったとしても、決して後戻りさせてはいけない政策方針だと思います。
日本の世の中を真に司っているのは、世界中の国々や企業、団体など、あらゆる立場の組織や集団、人々の思惑と利害が複雑に折り重なった関係です。世間でマスメディアを通して言われているような、鳩山が悪い、小沢が悪い、自民党が、民主党が、官僚が、鈴木宗男が、どこかの暴君市長が、北が、半島が、ミサイルが、魚雷が、パンダの国が、、、ただ悪者を決めつけるだけでは何も解決しないのはもちろん、現実に起きていることを正しく認識出来たことにもなりません。そうやって悪者決めをして堂々巡りを繰り返すように仕向けるのは、国民の不満のガス抜きのための、今も昔も変わらないプロパガンダのようなものです。その”お約束”を繰り返し刷り込むことで国民を必要以上に賢くさせないように仕向けることが、時の権力が大衆を上手く手懐ける常套手段です。物事の是非と悪者を決めつける自由を与えることで、一種の優越感と反対に自分を正しい側に置ける安心感を得させる、大昔から権力者はそういった人の心理を巧みに利用してきました。本当に大事なことは点の是非ではなく物事の関係です。これからの時代は単に与えられただけの情報や、多くの人々がそう思ってきたという以外に根拠のない古い常識をあてにして鵜呑みにするだけでは済まなくなりました。一人一人が自分の頭を使って、自分の良心と良識に従って考えて判断しなければならない時代になりました。
非常に長くなってしまいましたが、最後にこの人のこの言葉を引用して終ります。
”Who's bad ?” 「誰が本当のワルなのか?」
マイケル・ジャクソン、「BAD」より
昨今の経済情勢について、もう少し突っ込んで考えてみると、なぜそんな危険な状況に陥るようなコースをこれまで辿ってきたのかという疑問に行き着きます。
一言で言えば、世界中のお金持ち、一攫千金を夢見る山師、それらを巨大ビジネスに育て上げたい金融業界、お金の流通を通して世界中を牛耳りたいショッカーのような秘密結社などなど・・・、そういった一般庶民からかけ離れた、お金の魔力に魅了され尽くした方々の欲望が暴走してコントロールできなくなった、そう言い表せるかとも思います。
もう一つ見る角度を変えて、なぜ世界中のあらゆる経済を数珠つなぎにしてまとめる必要があったのか、その理由を考えてみます。世界中で交易が活発に行われることで経済発展が促されるという理由のほかに、歴史的な事情による理由があったように思います。それは、20世紀前半に立て続けに起きた二度の世界大戦のような大国間の戦争を二度と起こさせないようにするための予防線として、世界経済を一つにする必要があったことにあります。
戦後、西側の自由経済圏では横並びの同盟によって軍事、経済における利害を共有して相互に発展することで強大な勢力を築きあげました。そうした西側の強大な経済力の前に、東側社会が対抗しきれずに倒れたことは記憶に新しい歴史の一コマです。東側勢力が倒れた後、その域内の国々も取り込みながら経済的な利害と依存関係をより一層密にして、世界中の経済を運命共同体のごとく結びつけたのが現在のグローバル経済です。世界中の国々が、戦争をやって勝つことで得られる利益よりも経済的な損害の方がはるかに大きくなるという体制を目指したのです。
グローバル経済体制が確立されたことで、大国間による破滅的な戦争を回避するという目的は概ね成功したと言えます。しかし、その平和をもたらしてくれたはずのグローバル経済が、今になってまた別な形で世界を危機に追いやろうとしています。今から遡ること30年前、1980年代のアメリカでは製造業や軍需産業など、それまで超大国アメリカの経済を支えてきた産業から、新たな産業に転換する必要に迫られていました。90年代以降、製造、軍需に代わって主要産業に躍り出たのがウォール街を中心とする金融業界でした。彼らは金融工学と呼ばれる市場操作理論を立て続けに発明して、それによって世界の基軸通貨ドルを中心として、お金を右から左に取引するだけで莫大なマネーを創造することに成功しました。90年代以降、アメリカ経済がそうした実体の裏付けの無いマネーによって支えられただけでなく、そのアメリカの旺盛な消費に頼ることで日本を含む世界中の国々の経済が成り立ってきたわけです。
そうした錬金術による虚構の繁栄に副作用が無いはずがありません。虚構の富を手にした投資家たちは、やがてマネーを右から左に増やすことだけには飽き足らず、実体ある資産を買い占めること、資金の融通を通して国や企業の活動に関与することで現実社会に影響を行使するようになります。その結果として、石油や食料の高騰、各国政府の公共事業乱発による財政難、増税などのかたちで、ぼくたち一般庶民の生活にも多大な影響を及ぼしてきたわけです。無から有が生まれた試しはありません、実態を超えたマネーによって突き動かされた経済のツケはそっくりそのまま実体社会に返ってきます。
でも本当に恐ろしい問題は別にあります。1980年代以降、アメリカが金融産業を主要産業に位置づけて繁栄を維持してきたことはすでに述べましたが、それは、あの1929年の世界恐慌を引き起こした魔物を再び蘇らせた事を意味します。当時も実体経済の営みを超えた投機が起こり巨大なバブルが弾けて、世界中の実体経済に深刻な損害を与えました。その教訓から、金融は実体経済の補助であり、行き過ぎた投機が起こらないよう監視して規制するという体制が長らくとられてきました。80年代以降、その封印を解くことでリスクを犯してでも、多大な利益と発展を追求する方向に世界の経済はかじを切ってしまったのです。
それはしばらくの間は非常にうまく行っていました。1929年当時とは違い、最先端の金融工学、つまりリスク回避のための方法論を次から次へと発明して実践することでリスクを打ち消すことが出来たのです。その効果によって、90年代はかつてないほど世界の経済が発展しました。それと同時に見落としてはならないことは、市場の発展によって創造された潤沢な資金によって、経済的に貧しい第三世界の国々を、一握りの先進国や企業、投資家たちによって効率的に支配するシステムが完成したことです。それは軍事力を背景にした植民地支配よりも、巧妙かつ効率的に搾取することを可能にしました。いまだに第三世界の国々において、その大多数の住民が極度に貧しい生活を強いられ続けているのはそのためです。(※ここで、ぼくたち先進国の住民は彼らの犠牲と引き替えに豊かさを享受しているという説に行き当たりますが、それは半分は本当ですが、もう半分は一握りの大金持たちが富を独り占めすることを正当化する方便です。なぜなら、ぼくたちはそれほどまでに多くの経済的な豊かさを享受したことは無いからです。そのことは、バブル崩壊後の日本の大多数の庶民の暮らしぶりが、好不況に関わらず一向に良くなった試しが無いことからも分かります。)
一見、完璧に推移してきたようにも見えたグローバル経済に綻びを生じさせたものは、皮肉にも、そのグローバル経済をより進展させて持続するために必要不可欠だった、IT革命によるネットワーク技術の発展でした。ネットワーク技術の急速な進展は、社会の構造から仕事のあり方、一人一人の生活から人生に到るまで一変させました。それは市場の取引、世界経済の性質そのものをも様変わりさせました。詳細については他に参照していただくとして、その変化の中でも要と言えるのが時間と効率化の際限ない加速です。証券取引所にIT技術が導入されて以来、世界中の市場がネットを通して即座に連携して、まるでコンビニのように24時間ほぼ365日、大量の取引を行うことを可能としました。さらに、コンピューター上のワンクリックで桁外れな金額の取引を瞬時に実行するようにまでなりました。そうして、これまでに考えられないような量の取引が、考えられないようなスピードで繰り返されるうちに、世界中のマネーが実体の100倍以上に膨れ上がるという、未だかつて経験したことの無い事態を招いたのです。
アメリカの中央銀行FRBの議長を長期に渡って務めたグリーンスパン氏が、リーマン・ショック後の検証番組のインタビューでその対応の可否を問われると、これまではほぼ完璧に市場をコントロールすることができたが、どこかで想定不可能な事態に陥いってしまったことを暗に認めるコメントをしました。グリーンスパン元議長といえば、90年代金融産業の大立役者、その道では神のごとく崇められていた人です。その人の口から一種の敗北宣言がなされたということは、これからの時代の流れを示唆する象徴として見なされることだと思います。
現在の市場原理主義経済が残したものは、世界中の貧富の拡大と雇用の喪失、もはや返す当ての無い天文学的な借金を後世の世代に背負わしたこと、そして地球規模の限度を超えた環境破壊です。現在の経済体制は、おそらくギリギリまで延命されるでしょう。しかし、それが永続させることが不可能なことは誰もが分かっていることです。願わくば、その延命期間中に世界全体が競争から協調へ向かい、世界経済の破綻や戦争という悲劇的な結末を避けて、次世代の経済体制へ緩やかに移行して欲しいものです。そして、新しい社会体制と経済体制が築き上げられていく中で、地球上の大多数の人たちが普通の幸せと人生を追い求められるような世の中に変わってくことを願わずにいられません。
お誕生日おめでとう!
何となく自分で言ってみましたが、かなりマヌケですね、、、(^^;)
今日はめでたく・・・?28回目の誕生日を迎えました。
て、全然めでたくありません・・・(--,)
そろそろ後戻りできない年頃になってきました~(笑)
今、これを書いている最中に夕刊が届き、一面に目を通したのですが、どうも経済の雲行きが怪しくなってきたようですね。
ギリシャの財政問題が予想以上に深刻なようで、賃下げや解雇に反対する公務員がストを起こして暴動にまで発展、死傷者も出ているようです。
さらにユーロ圏で経済情勢が厳しい国はギリシャだけではなく、ポルトガルやスペインもかなり深刻な状態のようです。
この先、近い将来にリーマン・ショックを上回る世界的な経済恐慌が起こるとすれば、中国のバブルか、アメリカの財政とドル下落、日本の財政破綻かと目されていますが、もう一つ、ヨーロッパのユーロ崩壊というシナリオが一歩現実に近づいてきたようです。
こういった世界的な財政と経済問題は、単純に各国政府の無駄使いが原因とか、行き過ぎたマネーゲームによるバブルが原因だと単純に言い切れるものではありません。これらはみな、戦前の列強による軍国覇権主義に変わって世界を支配してきた市場原理主義経済の構造自体が、その長年の歪が積み重なって、もはやどうすることもできないほどになってしまったことが原因です。
冷静に考えてみると、世界中のあらゆる国々の通貨や産業、資源や貴金属、食料に生活の糧にいたるまで全部数珠つなぎにして相場にかけられているわけですから、無茶といえば無茶ですよね。一般の民の伺いしらないところで、一握りの投資家たちが目を血走らせながら売り買いしている、言い換えればそういった方々の強欲のバランスで世界の安定が成り立っているわけですから、考え始めると背筋が寒くなってきます。
一般人が伺い知らないところで、、、といえば、日本が先進国で一番の借金大国でありながら財政破綻しないだろうと言われている根拠は、郵貯をはじめ国民の総資産が借金の総額を上回っているために、いざとなればそれを廻せばなんとかなるという理由だそうで・・・これもよくよく考えてみると、いったい国民が自分たちの資産で国の借金を肩代わりすることにいつ同意したんだ?と、首をかしげたくなりますね。何だか最近は約款やら同意事項やら、意に反して約束させられることが多い気がします。
そういった状態に追い込まれる現代経済の仕組みについて何度か知ろうと試みてみましたが、やっぱり難解ですね~。ぼくのスモールサイズの脳ミソで理解するのは至難の業です(--,)
そんなぼくの乏しい認識力の中で何とか理解出来たことは、この複雑怪奇な市場経済の要を担っているのが、各国の中央銀行を頂点とする銀行同士のネットワークからお金が生み出される信用創造という仕組みであることです。信用創造については高校の教科書にも基本的なことが書かれていますが、今一度知りたい方はこちら。信用創造について、ここで一から解説するのは非常に骨が折れるので割愛しますね(^^A)
一般庶民の感覚からすると、自分が手にしているお札の価値が、実際には常に伸び縮みしている事実に何だかピンと来ないですね。そうして信用創造されたお金を元手に経済活動が営まれて、一方では株式や為替、資源や食料などあらゆるものが市場で取引されることを通して、たえまなく利益追求と新たな貨幣創造が繰り返されてきたわけです。その結果、実体経済の実に100倍とも言われるお金が世界中に還流するようになってしまったのです。
つまりは、今、世界中で財政難とか金融危機などで揺れている一番の要因は、無駄遣いでもマネーゲームでもサブプライムでも不景気でも無く(もちろんそれらも主だった要因の一つではありますが)こういった経済構造全体の歪みにあり、例えるなら世界全体がいつかは破裂するであろう特大の風船の中で営まれてきたことにあると言えそうです。それはもちろん、かつて日本が経験したバブルなんか鼻ちょうちん程度の、もはや比較にならないほど巨大なバブルです。
そうやって膨張を続けるマネーに対して、各国の金融当局が対応出来る手段が尽きようとしていることが、さしあたっての状況でしょう。今回のギリシャの財政危機で一気に世界経済が沈没することはないでしょうが、今後もギリシャに続くような国がいくつも出てくると、さすがのユーロも持たないでしょう。中国のバブル、アメリカの財政、そして日本の財政状況も来年度からはいよいよ危険水域に突入すると言われています。世間では米軍基地や与党のすったもんだでモメていますが、本当はそれどころではないハズなのです。一説によれば、上海万博会期中は安心だから、それまでにすべきこと、したいことはやっておいた方が良いなんて見方もあるようです。もう、むちゃくちゃな話ですが、、、(--,)
世界の情勢が後戻りできない状況に突入しそうな最中、塵芥並の自由人が一人、自らの人生もまた、もはや後戻りできない境涯に追いやられたことを悟る、、、そんな感慨を抱いた28回目の誕生日でしたorz
(次回は経済のネタに付いてもう少し書いてみようと思います、つづく。)
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誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s
「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。
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