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北海道の鉄道とか写真の話題など、、、日々の徒然を独り言のように細々と発信してみるブログ。小説作品執筆中。
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今日はSL夕張応援号の運転日でした。去年、一昨年とスルーせざる負えなかったので、今年は以前から撮影に行こうと計画を練っていました。

早起きが大の苦手のぼくにとっては大変でしたが、朝五時半に起きて地元駅を六時代に出る始発列車に飛び乗りました。途中、白石でエアポートに乗り換えて、さらに千歳から追分行きキハ40単行普通列車に乗り換えました。途中、ビール庭園駅でSL回送列車を追い越して千歳で撮影。キハ40で追分に向かっていると、また途中の信号場で追い越して追分到着、SL列車の入線を待ちます。

追分でSL列車の入線を見届けてから帯広行きスーパーとかちに乗車、新夕張へ先回りします。わざわざ一日散歩切符のみでなく、乗車券+特急券を買ってまで乗りましたが、何気にこれがキハ261-1000初乗車だったりします。先頭車展望席から前面展望を楽しみましたが、カーブでは車体傾斜装置が働いて傾くのが分かります。スピードは振り子式のほうがありますが、振動の少なさや乗り心地に関してはこちらに軍配が上がりそうです。

あっというまに新夕張に着いて下車、SL入線まで丸一時間ありますが、今回はそれを無視して夕張川橋梁を行くSLをサイドから狙えるポイントまで急ぎます。歩いて10分、国道の橋へ到着、先客はまだ2~3名しかいませんでした。ここからポジション選びをしながら、一時間半ひたすら待ち続けます。


IMGP0708-1.jpgその結果はこちら。期待していなかった煙も出ていて満足です。天候はイマイチでしたが、水面の透明感が出せたのでかえって好都合でした。また、今回は状況を判断してレンズはEBCフジノン55mmをチョイス、狙い通り雨上りの濃厚な緑を再現してくれました。ただし、一見ベストショットに見えるこのカットも、実は痛いミスをやらかして100点満点ではありません。



このレンズ、アダプターを介してカメラに取り付ける関係から、若干オーバーインフ気味に調整しているのですが、そのことを忘れてピントを微調整し忘れて列車にピントが合っていません(T_T)

正確にはピントの微調整をしたのですが、その時に橋のコンクリートを見ながら行い、∞遠まで回しきった時にコンクリートの質感を見てピントが合っているように見えたのでそのままにしてしまったのです。拡大しなければ目立たない程度でA4プリントくらいでは問題ないレベルですが、ジャスピンなら素晴らしい解像度を見せてくれるレンズなので惜しいことをしました。

このあと、これも今月限りで見納めとなる「とかち」を夕張川と合わせて撮影するもイマイチな出来、どうも早起きしたせいで、まだ頭の方が冴えてなかったようです(--,)


IMGP0760-1.jpg新夕張駅に戻り、DL牽引で帰ってきたSL列車をホームで撮影、すぐにとなりのキハ40ローカル列車に乗って夕張方面へ向かいました。

午後からは温泉に入ったりして、夕張観光を楽しみました。



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IMGP0507.jpg中島公園を後にして、行啓通電停から市電に乗って一つ手前の中央図書館前で下車、歩いて電車事業所に向かいました。

入出庫線に沿って中に入ると、ササラ電車3号と3304号が展示されています。ササラ3号は旧タイプで、台車などは古い単車の流用です。モーターや制御機にいたっては70年以上前の米国製の舶来品です。



IMGP0544.jpg3304号は330形を2000年に車体更新したもので、今のところ札幌市電で最も新しいグループの1両ですが台車やモーターなどは古い釣り掛け式のままです。330形は昭和33年東急車輛製で、その後の道産電車210~250型グループのベースとなった車両でした。台車は当時としては近代的なインダイレクトマウント式で、見た目、乗り心地ともにあまり古さを感じさせません、今でも3300形の足として現役です。



IMGP0542.jpgその後ろの251号は昭和36年に製造された道産電車の最終グループの1両です。電装品は戦後まもなく製造された札幌市電初のボギー車500形からの再利用で、それまでの240型に比べて車体が長くなり台車が330形と同様のインダイレクトマウントタイプへ進化しているのが特徴です。完成度が高く、道産電車の決定版と呼べる形式です。




c2d4183e.jpeg庫内には道産電車や3303号と並んで、異端車であり札幌市電名物のM101号の姿も見られました。まわりは人の往来が激しく、4両並びの写真をキレイに収めるのは至難の業でした。親子が一組入ってしまったものの、粘り続けて何とか撮ったのがこの一枚です。親子連れが多く、会場は常に満員状態だったのでイベントとしては大成功だったのではと思います。




IMGP0515.jpg研修庫の中も見学可能で、奥に入場中の243号広告車の姿が見えました。台車が抜かれた状態で検査中とのことでした。その他にもインバーター車の8522号が入場中で、パンタグラフなどの装備品も展示されていました。







IMGP0518.jpg243号の台車のフレームです。車軸やモーター、ゆれ枕などが外された状態で完全に分解されています。台枠の銘板を見てみると、川崎重工KW181台車、2006年製造となっています。どうやら更新工事が施され、その際に台車枠が新製されたようです。といっても、構造自体は従来と変らない下ゆれ枕式の古典的なものです。




一通り見終わって、インフルエンザも流行っているので早々に電車事業所を後にしました。


IMGP0453-1.jpg電化が発表された学園都市線ですが、PDCが行き交う非電化都市路線の情景をこれから少しずつ記録していこうと思います。

その手始めに、ようやく重い腰を上げて沿線までプチ撮影に行ってきました。場所は百合が原公園~篠路間です。ここには線路端にコスモスが群生しているので、それと行き交う列車のコラボを狙ってみました。



IMGP0407.jpg結果はご覧のとおりで、あまりパッとしませんでした(-_-;)

ピークが若干過ぎていたことと、天候不順も重なったためか花にあまり勢いがありませんでした。数年前に訪れたときは見事なお花畑だったのですが・・・。





IMGP0452.jpgそれでも構図を工夫して何本か粘りましたがイマイチな結果で終わりました。悪くないカットもあったのですが、ピントの範囲が狭く、もう少し絞り込んで撮ればよかったと後悔しています。

もし来年のこの時期に工事が本格化していなければ再挑戦しようと思います。



IMGP0154.jpg本村へ到着すると、さっそくS-304号のSL列車がやってきました。短い区間を往復するだけですが、生きたSLのブラストを身近に聞けるのは良いものです。以前から旧三笠駅まで旧幌内線を走らせようという計画がありますが実現に至っていません、線路が残っているので全く無理な話ではないと思うのですが、もし実現したら非常に喜ばしいですね。




IMGP0151.jpgひとつ変っていたことはS-304号用の車庫が新設されていたことです、開館から20年経ってようやく出来たといった感じです。ピットも付いた立派な車庫で、S-304号を今後も長期にわたって動態を維持していく体制が整ったことになります。S-304号は子供の頃から見たり乗ったりしてきたので、ぼくにとってはJRの動態保存機よりも愛着のある機関車だったりします。




IMGP0167.jpgS-304号はもともと室蘭のコークス工場の専用線で働いていた機関車で、保存機を除くと国内で最晩年まで現役だったSLです。1934(昭和9)年に室蘭の製鉄所向けに日本車両で製造されました。特にこれといった特徴のない産業用SLですが、それ故にそういった縁の下の力持ち的な決して世間から注目されなかった用途の機関車のかえって貴重な保存例だと思います。




IMGP0296.jpg夏休みとあって小さな子供連れの家族がけっこう多かったです。記念館本館に併設されたドーム型車庫にはC12 2、59609、ED76-505、DD13-353が格納されていますが、屋内のため保存状態は極めて良好でした。いつまでも良好な状態を保ってほしいものです。






IMGP0250.jpg道内では少数派だったDD16-15が牽引する救援列車です。DD16はDD51初期車の1000psエンジンを新型に載せ変えた際に、小型の車体を新製し旧エンジンを800psに落とした上で一台載せたものです。主に標津線や手宮線の入換えなどに使用され、写真の15号機は小樽築港区に所属し手宮線で使用されました。ボンネット上に増設された手すりが特徴的です。




IMGP0253.jpgDD51-610牽引の旧客編成です。何となく往年の客車鈍行「からまつ」を連想させます。この編成はどちらかというと旧三笠駅のキハ80系編成と並べた方が絵になるような気がします。このあたりの車両は2001年ころに一度大規模な補修を受けているため、思ったよりも痛んでいませんでした。





IMGP0262.jpgところが、隣のキハ22、56の急行編成はご覧のような無残な姿を晒しています。ここに展示されて以来、下地処理無しのペンキ塗りが一度なされただけで、2001年の大補修時もなぜか漏れてそのまま放置され続けています。鉄道村の入口に位置する看板のような列車ですから、この状態がいつまでも続くことは好ましくありませんね。キハ22や56は、ぼくにとって最も馴染深い車両なだけに残念です。



IMGP0261.jpg急行型グリーン車のキロ26-104です。急行列車の衰退と共にいち早く現役を退いたので、その活躍の姿を見たことはありません。小型の二重窓が並ぶ姿が特徴的で、本州用は大型の2連下降窓でした。かつてはキハ22、56編成に組み込まれて展示されていましたが、休憩室として利用するため離されて展示されるようになりました。その時に補修されたため状態は比較的良好です。




IMGP0298.jpgこれは先ほど紹介したDD16牽引の救援列車の後ろに連結されているスエ30-41です。一見、何の変哲もない旧型救援車に見えますが、もとは昭和3年製造の17m級三等・荷物合造車で、よく見るとリベット打ちの車体や二重屋根、連結器横のアンチクライマーなど古風な装いが際立っています。先ごろ津軽鉄道から買い戻されて復元の上、大宮の鉄道博物館に収載されたオハ31に匹敵するほど貴重な1両です。


屋外にはまだまだ紹介すべき車両がたくさんありますが、それらの紹介は次回以降に譲るとして記念館内の様子を簡単に紹介したいと思います。


IMGP0129.jpg今日は約8年ぶりに三笠鉄道村まで行ってきました。近場なのでいつでも行けるような場所なのですが、自分でも意外なくらいに足が遠のいていました。まずは幌内の本村に行くまえに、旧三笠駅エリアへ寄ってみます。この瀟洒な駅舎は廃止後に建てられたもので、もともと線路が通っていた場所に建っています。





IMGP0125.jpg駅舎の改札を通り抜けると、旧駅以来の跨線橋とホームの一部が残されていて、目の前にDD51が牽く貨物編成が置かれています。このDD51-548は同型のなかでもっとも一般的な重連型500番台の初期のグループで国鉄時代に廃車になりました。現在、貨物やブルトレを牽引しているDD51は、どれもこの500番台の後期に生産されたグループです。




IMGP0095.jpgそして奥に行くとキハ82-100を先頭にした編成が見えてきます。ご存知のとおり日本で唯一キハ80系が食堂車とグリーン車も含めて基本形式が全て揃った状態で保存されています。ぼくは同車の現役末期の姿をかろうじて実見し記憶に留めている世代ですが、やはりこの形は特急らしくていいですね。一時期、鼻先のシンボルマークが盗まれて無くなっていましたが、レプリカなのか前後とも新たに取り付けられていました。




IMGP0083.jpg中間車のキハ80-150です。再塗装されてから10年近く経ちますがさすがに痛みが目立ってきています。それでも潮風に晒される小樽よりは痛みの進行がまだ遅いようです。何の変哲もない中間車ですが、各地に保存されている先頭車に比べて保存されるものは少なく、まともな形で残っているのは貴重な存在です。





IMGP0086.jpg食堂車のキシ80-27です、食堂車は5両現存していますが全て北海道内にあります。うち一両は廃車体なのできちんと保存されているのは4両だけです。小樽の2両はあろうことか内装が休憩室化されて原型を留めていなく、三笠の本村の1両はレストラン化されて奇妙な外装にアレンジされているので、原型を保っているのはこの1両だけとなります。なので少々くたびれているとはいえ貴重な存在です。



IMGP0088.jpgグリーン車のキロ80-52です。こちらも現存しているのはJR東海が保存している1両とあわせて2両だけと貴重な存在です。ずらりと並んだ狭窓とドア横のマークがアクセントになっていて、これぞグリーン車といった井出達です。こういったDNAは現在のグリーン車にもちゃんと引き継がれていますね。





IMGP0041.jpgもう一両の中間車キハ80-145です。キハ80-150と製造時期もほとんど一緒で同一形態のようですが、150の方は保全工事が施工されているようで非常扉が埋められていたりトイレが改修されているなど外観に違いが見られます。一方、145の方は保全工事が未施工でオリジナルの姿を保っています。





IMGP0043.jpg公園の外れに位置する反対側の先頭車キハ82-87です。こちらの方が目に付かない位置にあるせいか、ヘッド、テールライトのレンズが無くなっているなど荒廃が目立ちます。それにしても6両編成というのは圧巻ですね、ただ置いてあるだけですが全部見てまわるとその存在感の大きさがひしひしと伝わってきます。




こうして21世紀までキハ80系が現役時代そのままの姿で残っているのは奇跡に近いことかもしれません。個人的には三笠鉄道村の展示物の中で最も貴重な存在がこのキハ80系編成だと思うのですが、このまま財政難を理由に朽ちさせてしまうのは何とも忍びない心境です。内外装とも何とかキレイな状態を維持して、同車の現役時代の歴史を伝える企画展を催すなどして多くの人達に同車の魅力を伝える術は無いものでしょうか。何とか有効活用して、最悪このまま撤去ということにならないことを願ってやみません。


今日はお盆のお墓参りに行ってきました。うちのお墓は長沼町の馬追の丘の森の中にあります、一応町営らしいのですが、とても霊園というような整った場所ではなく、かつて焼場だった雑木林の中にある野趣溢れる墓場です。鬱蒼とした林の中の薄暗い場所ですが思ったほど気味悪くはありません、むしろ木漏れ日差すなか丘の風が吹き抜ける心地よい場所です。毎年、ここに手を合わせに来ると落ち着きますね、日頃の平穏に感謝して人生の展望が開けますようお祈りしました(-人-)


IMGP9896.jpg天気が良かったので、帰りは馬追の丘を越えて由仁町に寄ってきました。途中、古山駅の踏み切りで運良く普通列車に曹禺、とっさにカメラを持って車を降りて撮影しました。上下あわせても一時間に一本あるかないかですから、とてもラッキーでした。おかげさまで、夏ののどかなローカル線の一枚を写すことが出来ました、墓参りのご利益がさっそくあらわれたのでしょうか(^人^)




IMGP9910.jpg由仁駅にも寄ってきました。

新しい駅舎になってから3年経ちますがようやく写真に写すことが出来ました。年季が入った前駅舎よりもそっけない造りですが、駅前の風景にはマッチしています。






19b05f68.jpeg3年前の旧駅舎が姿を消す直前の画像です。さすがに築100年くらい経っているだけあって味わいがありますね、ちょっと昔の農家の納屋を思わせる深い屋根が特徴的な純北海道型の駅舎でした。こういった貴重な駅舎が次々に消え去っていくのは惜しいものです。各地にかろうじて残っている貴重な駅舎が今後も大切に保護されることを願ってやみません。




由仁を後にして、北長沼から旧夕張鉄道跡のきらら街道を通って、途中の南幌温泉でアイスクリームを食べながら帰ってきました。
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プロフィール
HN:
鈍行翼
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/07
職業:
エア作家/にわか写真家
趣味:
鉄道と写真ともろもろ・・・
自己紹介:
バセドウ病罹患者(勝手に寛解中)。

発病から10年以上経ちましたがようやく沈静化へ向かいつつある今日この頃。同時に人生の在り方を模索し続け小説という創作物に結晶化することを日々の生業とする。写真撮影は豊かな創造性とニュアンスの源泉です。

写真撮影の友:PENTAX K10Dと愉快なオールドレンズたち。
コンパクトはRICOH GX-8、R10、ケータイカメラCA006
フィルムカメラはPENTAX SPF、RICOH R1s、GR1s

「目指す場所があるからいつだって頑張れる!」
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